本年度も高島忠平先生による古代史講座が3回にわたって開催
2023年10月21日(土曜日)
高島忠平古代史講座<第1回>
*佐賀市徐福長寿館
*演題「吉野ヶ里遺跡発掘と邪馬台国(1)」
Ⅰ.吉野ヶ里環壕集落の各時期の持つ意味
○縄文時代晩期後半(弥生時代初頭)初期水稲農耕期
- 吉野ヶ里丘陵南端部に草分け的集団によって広さは不明であるが小規模な環壕集落
- 他にこの丘陵数ヶ所に世帯共同体の小集落があり環壕集落が母村
- 母村を中核にした集団は地域的な氏族的共同体を形成
- 佐賀平野に多くの集落が認められるが低地(託田西分遺跡)と丘陵地かその縁辺に立地
- 立地の違いは各集団間に農耕形態‚食料獲得など生業の在り方の違いと階層性
○弥生時代前期前半から後半
- 丘陵南端から北へ移動した地域に南北200m東西150mの約3ヘクタールの環壕集落
- 環壕内には竪穴建物とそれに付属する貯蔵穴群
- 環壕外周辺にも同様の貯蔵穴群が数ヶ所
- 丘陵地の他のこの時期の集落は小規模であるが竪穴建物に貯蔵穴が付属
- 環壕集落東方150mのところに直径20m以上の環壕で囲まれる貯蔵穴群
- 環壕は環壕集落と対をなす施設
- 各世帯の収穫の個別管理
- 一部収穫は草分け集団が主催する種族共同体祭祀の供物
- 管理から占有化やがて氏族共同体の生産の統制管理
○弥生時代前期末から中期初頭
- 前期の環壕は埋没するが同じ地域に松菊里型の竪穴建物
- 同様の竪穴建物が北墳丘墓地域のほか数ヶ所
- 丘陵南端地域を大きく取り込む特別区域が存在
- 特筆すべきはこの特別区域を中心に鉄器、青銅器、鋳型および朝鮮半島系無紋土器(粘土帯土器)が出土
- 鉄‚鉄器は鋳造品、青銅器は細形銅剣、鋳型は銅矛‚銅剣、他に舶戴の青銅環頭の鉄刀子(削刀)
- 青銅器の製作は羽生遺跡と並んで九州北部地域でもっとも早い例
- 朝鮮半島北西部現在の平壌地域に拠点をおいた衛氏朝鮮
- 紀元前108年漢が衛氏朝鮮を滅ぼし楽狼等四郡を設置、朝鮮半島を支配
- この地域の墓地から「扶租さい(草冠に歳)君」の銀印とともに細型銅剣、鉄剣、車衝具などが出土
- 銀印は漢制で楽狼郡設置後に近い時期
- 細型銅剣は北部九州中期初頭の細型銅剣と同形式
- 衛氏朝鮮は鉄生産の中国戦国期から漢にかけて鋳造鉄製作の中心であった燕国の流れであり、朝鮮半島青銅器のいくつかの集中分布地域のひとつ
- 吉野ヶ里への鉄製品、青銅器製作の技術は、漢帝国によって滅ぼされた衛氏朝鮮や朝鮮半島各地の圧迫を受けた流民、移住がもたらしたもの
- 移住集団は九州北部各地を中心に定着し、細型銅剣を中心とした青銅器を従来の威信器として製品‚保持
- 渡来移住集団は故地での政治‚統治の経験でもってその後の九州北部における政治的社会つまり「国」形成において主導的役割
○弥生時代中期前半から中頃
- この時期吉野ヶ里に大きな画期
- 北墳丘墓と南祭壇の築造
- 墳丘は特異な工法盛土で築造されその中央に墓坑を設け巨大な甕棺が埋置
- 甕棺墓には幾度となく研ぎ直した細型銅剣が副葬
- 被葬者は「国」造りをした(始祖)王
- その後も次々と王ないし王族が埋葬
- 一般成員の墓は予め設定された墓域に列状を形成
- 一般成員の墓にも墓域の設定箇所や副葬品などに違いがありその間には階層性
- 圧倒的な数の一般成員と際立った違いをみせる墳丘墓の被葬者の間には「三国志」「魏志倭人伝」の王‚大人‚下戸‚生口などの階級‚階層‚身分に繋がる
- 南祭壇は九墳丘墓南約800mに墳丘墓と同様な工法で築かれた45m四方の盛土
- 盛土斜面から裾にかけて祭祀土器が堆積しており祭壇
- 重要なのはこの祭壇が北墳丘墓とほぼ南北の線で結ばれ、その南延長線が約60km先の雲仙岳に結ぶ
- 中国の古代都市計画において、南‚北の方位はきわめて重要
- 北墳丘墓と南祭壇それに雲仙岳をむすぶ壮大な儀礼空間の形成は、北墳丘墓の王による支配統治の正統性、支配の秩序を示すとともに、王都吉野ヶ里環壕集落の諸施設配置の空間計画
- この支配統治秩序は、古代中国の侯国であった燕国ー衛氏朝鮮ー九州北部への流民‚移住の流れの中で理解
- 吉野ヶ里遺跡の遺構は、九州北部をはじめ日本列島の当時の各地の弥生時代遺跡には見られない特異な例
- 吉武高木遺跡、柚枇本村遺跡には首長墓に向かって大型の建物配置、宗廟とした先駆的なものであるが、吉野ヶ里遺跡のような壮大な儀礼空間は認められない
- 吉野ヶ里遺跡に見られる王権と「国」は北部九州の当時の政治社会で位置‚地位は高かった
○弥生時代中期中頃‚後半
- 前漢鏡の副葬は中期末の甕棺から
- 吉野ヶ里では副葬ではないが、中期末の甕棺墓の石蓋の目張り粘土に封じ込め
- 被葬者は女性で多数の貝輪を装着した巫女
- 墳丘の墓前では祭祀が継続的に行われ、火床‚祭祀土器が置かれた祭道が設けられた
- 五ケ所以上の墓列は長いもので600m以上に達した
- 吉野ヶ里遺跡丘陵一帯の墳墓総数の予想から人口を1000人と予想
- 南祭壇も祭祀が継続、中期後半の祭祀土器に貝類‚獣骨など供物
- 北墳丘墓と南祭壇および雲仙岳をむすぶ儀礼空間は継続
○弥生時代後期から終末期
- 吉野ヶ里環壕集落が40ヘクタールに拡大
- 北墳丘墓一帯を宗廟として新たに北内郭と祭壇など諸施設を整える
- 南祭壇の周囲に壕を設け整備
- 政所として新たに南内郭を設置
- 南内郭西方に大蔵(邸閣か)を有する蔵群それに近接して市
- 吉野ヶ里はこれらを周囲から隔絶する巨大な城柵を巡らし、地域社会の祭政の一大拠点
◎高島忠平先生は「これからの発掘調査に期待したい」と、講演を結ばれました。
◆次回からの講座のご案内(佐賀市徐福長寿館)
*第2回 11/18(土)13:30~15:00
*第3回 12/16(土)13:30~15:00
*参加費(資料代込)500円
*お問合わせ先 0952-98-0696
吉野ヶ里遺跡特別公開
2023年6月24日(水)
○吉野ヶ里遺跡特別公開
6月24日(土曜日)
6月25日(日曜日)
・4月25日、[謎のエリア](日吉神社境内跡地)で、副葬品の発見はありませんでしたが、石蓋に線刻紋様が刻まれ棺内に赤色顔料が塗られた弥生時代の石棺墓が発見されました。
その後の調査で石棺墓は邪馬台国時代(紀元後2世紀後半から3世紀中頃)のもので、6月5日に石蓋を外し、石棺墓内部の調査が行われてきました。
・6月24日、25日特別に石棺墓の一般公開がされました。
・このあと、石棺墓の周囲を広げて9月以降に再開される未発掘エリア調査に期待したいと思います。
☆写真は特別公開パンフレットより
今日の佐賀新聞22面より【深まる謎】
2023年5月24日(水)
・佐賀新聞1面"有明抄"に……◆「佐賀が有名になる20年周期説」があるとすれば、今年は何か期待できそう。それはバスケットでB1昇格とB2年間優勝を決めた佐賀バルーナーズ?サッカーJ1サガン鳥栖?それとも吉野ヶ里?誇れるものは多い。県民一人一人がそれぞれの「佐賀賛歌」を歌い広げていけばいい。(義) とありました。
・佐賀バルーナーズもサガン鳥栖もそれぞれトップリーグでの今後の活躍が期待されます。 「吉野ヶ里」も「20年周期説」に大いに期待したいものです。
吉野ヶ里遺跡群関連ニュース3題(佐賀新聞より)
2023年5月6日(土)
○5月5日(金曜日)
弥生時代の吉野ヶ里の王か
中国歴史書に登場最初の日本人「帥升(すいしょう)」
本丸歴史館長七田氏が新説
邪馬台国論争に一石
・中国の歴史書に名前が登場する最初の日本人、倭国の王「帥升」は弥生時代、吉野ヶ里のクニの王だったとする説を、佐賀城本丸歴史館の七田忠昭館長が発表した。邪馬台国の卑弥呼よりも100年以上前の時代の王で、邪馬台国九州説を裏付ける意味もあり、長年の論争に新たな一石を投じそうだ。……
○5月6日(土曜日)
吉野ヶ里遺跡保存活動に尽力
久保さんの意志次世代へ
妻・妙子さん、県に寄付
・吉野ヶ里町の久保妙子さん(88)が佐賀県へ多額の寄付をし、県から感謝状が贈られた。久保さんの夫で吉野ヶ里遺跡(神埼市群)の保存活動に熱心だった故・浩洋さん(2021年没)の遺志を継ぎ、同遺跡の保存や活用に役立てられる。……
○5月6日(土曜日)
吉野ヶ里遺跡展示室400万人突破
別府市の竹間さんに記念品
・吉野ヶ里歴史公園(神埼市群)内の吉野ヶ里遺跡展示室の入館者が5日、400万人を突破した。400万人目となったのは、大分県別府市から家族で訪れた中学1年の竹間翔さん。竹間さんは「自分がまさか400万人目になるとは思わなかった」と喜んだ。……
○皆様も若葉薫る吉野ヶ里遺跡群を探訪なさってみませんか?
弥生人の声が聞こえてくるかもしれませんね。
「2022年の発掘調査速報展」
2023年2月24日(金)
「ナゾホル よしのがり」
○2022年5月より吉野ヶ里遺跡の日吉神社境内地跡で10年ぶりとなる発掘調査が実施されています。
発掘現場の様子等を紹介するパネル展が、令和5年(2023年)2月20日(月曜日)~28日(火曜日)、佐賀県庁1階県民ホールにて開催されました。
*主催 佐賀県地域交流部文化・観光局 文化課文化財保護室
(写真撮影・SNS投稿は主催者の許可を頂いております。)
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