「吉野ヶ里遺跡の再発掘調査と展望」



2022年6月26日(日)
講演会
演題:「吉野ヶ里遺跡の再発掘調査と展望」
講師:高島忠平先生
佐賀県徐福会副理事長 佐賀女子短期大学名誉教授
会場:佐賀市徐福長寿館


○「…今年、発掘調査を開始した場所は、長さ600mに及ぶ弥生時代中期(約2200年前~2000年前)を主体とした甕棺墓列の延長線上にあたります。この場所の北に隣接する調査区で発見された甕棺墓のなかの1基については、棺外から前漢鏡が、棺内からは両腕に36個の貝製腕輪を装着した女性の人骨が出土しています。東に約100m離れた北墳丘墓には、14基の甕棺墓が確認されており、銅剣8本、ガラス製管玉79個など貴重な副葬品も発見されており、今回の発掘調査箇所が弥生時代にどのような役割を持つ場所であったのか、注目されるところです。また、当該地は、日吉神社(創建年代不明)が所在していた場所にあたります。中世には少弐氏勢福寺の支城として江上氏が整備した「日吉城」であったとされ、中世の堀や土塁が残っている可能性があります。」 佐賀県文化課文化財保護室(配布資料より一部転記)

○「都」というのは、宗廟(そうびょう)と社稷(しゃしょく)を配置しているもの。この二つがないと「都」ではない。
吉野ヶ里は倭国の「都」があったところではないだろうか。
考古学とはいろいろ推測しながら仮説を立て仮説を確かめる。当たるも八卦、当たらぬも八卦。再発掘で何が出てくるか分からない楽しみがある。

○高島先生はこれまでに発掘されたいろいろな事例を挙げながら、吉野ヶ里遺跡の再発掘への期待をお話されました。



  
  



【吉野ヶ里歴史公園の水田で田植え】




2022年5月29日(日) 吉野ヶ里歴史公園内の水田で 3年ぶりとなる「田植え」が行われました。 古代の如く、小さな水田に 機械を使わずに、手で丁寧にひとつずつ 赤米の苗を植えていきました。

貫頭衣を身にまとい、 足をとられながら夏日の中で 子供たちが奮闘しています。 田植えの後は、 昨年植えた赤米と、 豚汁のお振る舞いもありました。

秋には案山子作りもありますよ! みなさん、ぜひ参加してくださいね。

  

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【10年ぶり!吉野ヶ里遺跡発掘調査再開】




「吉野ヶ里遺跡」の特別史跡区域内は長年心待ちしていた未調査地があります。
この未調査地は、弥生時代中期の王たちが埋葬されたと考えられ、銅剣やガラス管玉などが見つかった北墳丘墓のすぐ西側に位置します。 これまで日吉神社の境内地でしたが日吉神社の移転を機に佐賀県は10年振りに発掘調査を再開したのです。

2022年5月3日(火曜)10時に『鋤(すき)入れ式』が執り行われました。

山口知事、伊東吉野ヶ里町長、七田忠昭佐賀城本丸歴史館長の挨拶の後、七田館長の講話もありました。 現地では、先着200人に勾玉などが描かれた缶バッチなどが配布されたりと子どもから大人まで、奈良や茨城、東京などから来られた全国の考古学ファンで賑わいをみせていました。

早速に顔を出す弥生土器や、甕棺であろう箇所も公開。
今日の日が、過去と未来を繋ぐ日になるといいですね。
発掘の様子は、5月8日(午前9時~午後4時半)まで一般公開されています。

来場者はどなたでも自由に見学できますので皆さま良かったらおいでください。

  




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2月23日 今日は何の日


今から33年前、1989年(平成元年)2月23日、NHKと朝日新聞一面トップで吉野ヶ里が報道されました。
翌日より全マスコミによって吉野ヶ里が報道され、考古学ブームとなりました。

1934年(昭和9年)に七田忠志先生が「吉野ヶ里には日本の歴史を書き換える重要な遺跡が眠っている」と考古学会誌に発表されてから88年になります。

古代ローマ時代のシルクロードの東の終点、平和の尊さを示す吉野ヶ里を弥生の景観と共に未来に繋ぐため世界遺産に登録できるように頑張りましょう。

※写真は「吉野ヶ里と徐福-佐賀平野で始まった弥生文化-」内藤大典著より


  


  

  



吉野ヶ里町 伊東健吾町長を訪問


真夏のような強い日差しが眩しい2021年6月10日(木)

吉野ヶ里町役場三田川庁舎にて、伊東健吾町長と吉野ヶ里についてお話しさせていただきました。
これまでの遺跡への思いにはじまり、吉野ヶ里遺跡の保存、世界遺産としての存続への思いを伝えさせていただきました。
この時期で短時間ではありましたが、伊東町長は親身に耳を傾けてくださり、激励のお言葉をいただきました。

勇気100倍もらいました!!

この後、町長は吉野ヶ里周辺の土地を耕して「花壇にして皆さんをお迎えしたい」と一人トラクターに乗り込まれ、炎天下で作業なさるとのこと。「わたしが一人ですれば経費がかかりませんからね」と笑顔。 本当に素晴らしいリーダーです。


  



お絵描きワークショップ【6月19日~7月4日】 吉野ヶ里歴史公園


佐賀県民限定でごめんなさい。
吉野ヶ里歴史公園でワークショップがありますよ。

»詳細はこちら:お絵描きワークショップ

  
  



見開き一面の大きな広告

掲載日 2021年5月2日(日)

オールクリーン社、江島社長のご厚意で 見開き一面の大きな記事の掲載となりました。
吉野ヶ里遺跡が大々的に報道された 平成元年(1989年)2月23日のことを回顧し、
対談という形で想いを語らせていただきました。

良かったらお手にとってみてくださいね。

»スマホで写真を拡大(ピンチアウト拡大)


  



2021年4月1日(日)

MOTEMOTE4月号の裏表紙でも 応援していただいております。
本当に嬉しい事です。ありがとうございます。
佐賀市内のみなさま、今週すべての投函が終わっています。
良かったら吉野ヶ里に想いを馳せて、見てくださいね。



  



[講演会]

期日  2021年2月10日(水)
会場  ㈱オール・クリーン社 佐賀営業本部 3階
演題 「吉野ケ里遺跡を世界遺産に」
講師  太田記代子

立派な看板は㈱オール・クリーン社様が作ってくださいました

㈱オール・クリーン社様の「愛LOVE佐賀事業」の一環として、当会の太田記代子が「吉野ケ里遺跡を世界遺産に」と題して下記のような内容でお話をさせていただきました。

①昭和9年(1934)
七田忠志先生が「吉野ヶ里には日本の歴史を書き換える重要な遺跡が眠っている」と考古学会誌に発表されました。

②平成元年(1989)2月23日、NHKと朝日新聞一面トップで吉野ヶ里が報道された。翌日より全マスコミによって吉野ヶ里が報道され、考古学ブームとなりました。

③吉野ヶ里遺跡群の上にメガソーラーが設置され、景観が損なわれています。
古代ローマ時代のシルクロードの東の終点、平和の尊さを示す吉野ヶ里を弥生の景観と共に未来に繋ぐため世界遺産に登録できるように頑張りましょう。


〇コロナ感染症対策のために間隔をあけて置かれた椅子に掛けられずに、立って聞いてくださる方もいらっしゃいました。その後の交流会でもいろいろな皆様とのご縁を頂き、「吉野ケ里遺跡を世界遺産に」との願いを共有させていただきました。大変ありがとうございました。


吉野ケ里歴史公園とメガソーラ設置場所との位置関係を説明

㈱オール・クリーン社の江島社長と




2020年11月30日(月)佐賀新聞4面
「吉野ヶ里への想い」

吉野ヶ里への想いを、

地元のご出身の戸塚様が
柔らかな文章で綴られていらっしゃいました。

戸塚教頭、ありがとうございます。





神崎の魅力、ということで仁比山

今日は神崎の宝、「仁比山神社」を散策しました。

仁比山神社は、吉野ヶ里歴史公園から車で約8分の距離にある1200年以上の歴史を誇る神社。

地元の人に「山王(さんのう)さん」と呼ばれ親しまれています。


大隈重信も足を運んでおり、当時のお金で200円の寄付をしたとのお話も朝日宮司に教えていただきました。
戦乱の折に、建物の多くが焼失しましたが、江戸時代になり佐賀藩藩祖鍋島直茂・初代藩主勝茂親子により再建されました。


この神社にある樹齢800年や600年の楠の大木は、堂々たる迫力で見る人に不思議なパワーを与えてくれます。

春の新緑・秋の紅葉の時期は、すぐそばにある九年庵とともにたくさんの人で賑わいます。


山王さんの水として親しまれる「金剛水」は今も湧き出ています。
お猿さんにかけると願いがかなうと言われていて、私たちも子どもの頃は、お参りの際にはせっせとかけておりました。


背振の木々が伐採されたからか、以前より水量は減りました。
山は大事にしなければなりませんね。






 
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